茶道教室 お茶のある暮らし 【茶道・写真・道具】

茶道を永年続けている友人が、ご主人から
『茶道はそんなに何年も稽古をしないと覚えられないほど難しいものかね』
と尋ねられたそうです。

友人は、『茶道はなかなか奥が深くてねえ』 と答えたそうなんです。
茶道の世界はなかなか奥が深くて稽古をすればするほどやめられません。

とても魅力のある世界です。


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覚々斎

9月になりました

もう9月になってしまいました。今年はなかなか計画通りに行かずいらいらしています。
9月といえば天然忌が催されます。
表千家中興の祖といわれる如心斎の徳をしのび、お家元では毎年、九畳敷で「且座」を行なうのが習いとなっているようです。9月13日はまだまだ残暑が厳しい時季なので、汗を抑えることが大変だった記憶があります。
覚々斎の長男で27歳で家督相続をした如心斎は8歳の啐啄斎(幼名 与太郎)を残して47歳の若さで亡くなりましたが、わずか20年の間に残した功績は大きいと思います。

表千家九州茶道館

11月5日、6日、7日に表千家九州茶道館30周年記念茶会が開かれました。
会記に次のように記されていました。

表千家九州茶道館とは
 今から30数年前、即中斎宗匠と当時の而妙斎宗員若宗匠は、「九州の地に表千家茶道、すなわち利休居士の道統を伝えたい。その為には、千家流の正統の形をもって、その心を伝える事が大切である。」と言う思いがありました。
 即中斎宗匠、而妙斎若宗匠の思いと、地元九州・福岡の同門社中の表千家への熱意が一つになり、かくして、九州に茶道館が建設される事になりました。
 茶道館建設に際しては、家元に現存する利休居士以来の遺構を出来るかぎる忠実に写す努力がはらわれ、清友軒、聴鐘亭、九畳敷写、松風楼写、花月楼写の茶室や路地が作られました。
 茶道館は昭和51年八月に着工、翌年12月に竣工いたしました。昭和53年3月には、九州茶道館落成披露茶会が盛大に催されています。
 現在では毎年恒例の行事として、新春の初釜に始まり,利休忌、即中斎宗匠を偲ぶ茶会、月釜など様々な行事が催され、名実ともに九州における表千家茶道の活動拠点としての役割を担っています。              

聴鐘亭とは
 家元の残月亭に準じて作られ、而妙斎宗匠より「聴鐘亭」と名付けられました。
十畳敷と二畳の床,付書院など、残月亭を忠実に写しています。
「聴鐘」とは、菅原道真公が大宰府で詠まれた漢詩「不出門」の一節から取られました。

都府楼鑱看瓦色   都府楼にはわずかに瓦のいろをみる
観音寺只聴鐘聲   観音寺ただかねの声のみきく
中懐好逐孤雲去   中懐はことむなし 孤雲にしたがひてさる
外物相逢満月迎   外物はあいあひて満月ぞむかふる
此地雖身無檢繋   このところは身の検繋せらるること無くとも
何爲寸歩出門行   何すれぞ 寸歩も門を出でて行かむ
                          会記より
当日、「聴鐘亭」には
「一華開五葉」(いっけごようをひらく)の掛物が掛かっていました。
お祝いの席でよく拝見します。
一輪の花が五つの葉を茂らせ、自然にその実は実る。
禅語の意味は解りませんが、一般では、家業や子孫の繁栄を祝う語として用いられています。

花入れは、六代覚々斎作の竹一重切 銘が白頭
花は、椿、丸葉まんさく がいけてありました。  
銘の白頭とはどんな感じだったのか覚えていませんが、丸葉まんさくの照り葉がとても綺麗でした。

                           

                             
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